Aug 14, 2008

合評ってなんだろう?

イントロダクション

具体的な組織などで文学に携わりはじめて、約7年になります。いくつかの文学集団で活動してきたけれども、「書き続けること」ということと同時に「読むということ、合評すること」が文章修行には最も大きな修練道場となると実感しています。

うおのめ企画では、オンライン文学の地位向上を目指して支援してきていますが、文章修行のプロセスとして合評というある種アナログな手法にこだわり続けているんです。もちろん、その為には、オンライン上での合評をする上での《合評が合評たるための合評のアナログ的側面を保持しながらも土壌としてのデジタルに即したマナー》の確立が必要なのですが。マナーについては、「第2回うおのめ文学賞結果発表-これからも書き続けるために-」にも書いたので、割愛します。

「For you」では、他の作品にレスすることを投稿の条件にしていますが、そこにはふか~い意味が実はあるんです。ここでは具体的に、合評ってどうやるねん、何を意識して合評したらいいのかということについて考えていきたいと思います。

合評ってなんだろう。

詩・小説・随筆、いずれの作品も日記とは違って、「他者に何かを伝えたい」というところからスタートし、また、それを目標としているのです。文章修行で一番肝心なのは、「書き続けること」「たくさん読むこと」のこの二つです(断言)。

読んで感じる、それを言葉にする。→ボキャボラ・マッチョを目指して。
日常生活では、「雨が降ってる、もの悲しい」とか、全ての感情を言葉にして誰かにしているわけではないですよね。校舎から出て、「雨だ」と思っても、友達との会話をそのために中断して「もの悲しい雨だね」ということを伝える人は少ないかもしれません。
そのため、体の中の言葉が少しずつ死んでいくかもしれないです。そういった内面で完結してしまいがちな言葉を引き出す訓練という意味もあるんです。
最初は「面白かった、楽しかった、気に入った」ということでも良いんです。心が動いたということをまずは言葉にしてみる。それから、徐々に「どこが、どのように、こんな風に感じた」「こんなふうに解釈して読んでみた」と書いていくと良いでしょう。焦ることはないのです。その訓練を繰り返していくうちに、詩を書くときに、知らず知らずに心と脳を結ぶボキャボラ筋肉がマッチョ化していることを感じるはずです。
また、「どうしてそう思ったか」ということを著者や他のみんなに読みとってもらうように、文章をいろいろと考えながら書き込みすることがが、文章の中で焦点をあてたいと思う箇所にばしっと焦点を合わせていく訓練になるんです。
文芸作品は著者が最後まで書ききったとき、それは、他者に向けて発信が始まってる。→いまここに君がいなくても、君の作品で僕は君を感じてる
詩にしても小説にしても、個人的な体験を書く場合もあれば、全く創造したものである場合があるでしょう。そして、読み手も、書き手の個人的な友達である場合もあれば、全く知らない人であるかもしれないのです。
書き手の友達ならば、「あの時、辛かったんだね」と具体的な事柄を想定しての感想になるでしょう。ですが、書き手のことを何も知らない読み手は、その作品を「作品」として読みます。合評で皆の意見をもらう中で、「どうも自分が意図した内容と違う風に解釈されている」と感じたことがあると思います。それは、一つの作品として、書き手が腕の中でその作品を見ているからです。合評を通すことで作品を客観的に見ることができるようになります。
永遠なる多面体。詩の解釈に正解、不正解はないんです。→ホントのあなたはあなたが思うよりずっとずっとたくさんの細胞でできているように。
抽象的な詩であれ、具象中心の詩であれ、どう解釈したのか、そのあたりも語り合ってみましょう。
作品は多面体です。作者が思うより多くの面をもっているのです。例えば、桜が散る描写が人には失恋の歌、ある人には無常観、ある人には破滅、描写の持つリズムや匂いで様々な読み方が可能だったりするんです。
間違ってるかもしれないと、恥ずかしがることはありません。みんなそれぞれの解釈があるんだということも、著者には勉強になります、あなた自身も、インスピレーションが増幅する訓練にもなります。意図とまったく異質の解釈が多かった場合、作品の焦点があってなかったということが考えられます。
マニュアルなんてない。→君の技術が欲しい
定型詩の場合、文字数や季語、あるいは韻など約束事がいくつかありますし、小説も原稿用紙の使い方など約束事があります。それ以外は詩や小説の場合、どれが正しくてどれが間違っているというルールブックなんてないんです。巷に売られている文章読本など参考書はありますが、実際の技術は、よい作品から、あるいは合評から得て身につけていくものです。
自分ならではの技術を合評で作っていくことができるんです。
上手に批評しようと思わなくていいんです。→ありのままの君でいて
合評の現場で一番大切なのは、他の人の作品に何を感じて何を言葉にして伝えたか、ということです。少し疑問に思った点、良かった、すごいなと思った点を指摘して、何故そう思ったのかということを他の投稿者のレスを見ながら考えていくことで、「なるほど、この作品の魅力はここなんだな」というポイントが見えてきて、自分の中に確かな技術が生まれるのです。
文芸評論家になる必要はありません。書き手として気になる点、あるいは読者としてどう思ったか、ということを素直に話していくことが、詩にしても小説にしても上達の最初一歩です。ここは文学賞の選考会場ではありません、○×△という採点をするというよりも、各々が技術を磨く場所ですから。
もちろん、その腕試しの機会は、いろいろと計画中です。お楽しみにー
リライトしてみよう→もう一度、君に会いたくて
合評でみんなの意見や感想、レギュラーからのレスがついた後、もう一度その作品を推敲し直してみるといいです。小説では、合評にあげて、その後しばらく寝かせて(客観的に作品を見られるようになるまで)リライトするのが通常的な流れです。詩も同じ事が言えると思うんですよ。詩はそんなに長期間寝かせる必要はないと思いますが、せっかく書いた作品です。もっといいものに仕上げてみるといいでしょう。

まとめ

まあ、ごちゃごちゃと書きましたが、要は難しく考えなくてもいいんです。より多くの作品の合評に参加すればするだけ、あなたの技術が向上します。そうして、合評上手になっていくことで、創作がますます楽しくなるでしょう。

コツは、合評を血肉にして、一作品、一作品を丁寧に仕上げていくこと。これで、ばっちりです。

創作は一人だけど、文学はけっして一人ではできないものです。ここには、仲間がいます。

文責:大江眞輝

Posted at 15:47 in コラム | WriteBacks ()
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